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私の写真仲間の間で、ある水中フォトコンテストのグランプリ受賞作品がちょっとした
話題になったことがある。
そのグランプリ受賞作品とは、多重露光(二重露光)で、上半分が陸上風景、下半分が
水中写真、という作品だった。
多重露光は、古典的な写真テクニックのひとつだ。ただ、水中写真では面倒くささも
あって、あまり使う人はいない。それもあってか、水中フォトコンテストでは新鮮な
印象を受けたのだろう。
そのグランプリ受賞作品が仲間内で話題になる毎に、私は「今なら多重露光なんかで
撮らなくても、Photo Shop(パソコンの画像ソフト)で簡単に合成できるのに。」
と、言うと、ほとんどの人から「そんなのダメだよ。」とか「それはズルイよ。」と
いった反応が返ってきた。
どうして、「ダメ」とか「ズルイ」とか否定的な反応が返ってくるのだろうか?
”上半分が陸上写真で下半分が水中写真”という作品を作るという視点で考えれば、
多重露光もPhoto Shopも作者のイメージを実現するための単なる手段でしかないはずだ。
私の写真仲間は、今のところ100%銀塩フィルム写真派だ。たぶん、そういう立場
だから感情としてフォトコンテストという伝統的な神聖な場にデジタル処理が持ち込
まれる事に対して抵抗を感じているのだろう。
もうひとつ、フォトコンテストにおける作品の評価には、撮影過程におけるカメラマンの
苦労や撮影テクニックの上手下手もそれなりに加味されるべきもので、安易
なデジタル処理を認めたくないという心理も大きいような気がする。
先日あるTV番組でアイドルの女の子達の水着写真集の話で盛り上がっていた。
その内容は「最近の水着写真集では、にきび、肌のシミ、シワなどはデジタル処理でレタッチ
して綺麗にしているのが普通だ。」という話だった。
アイドル写真集に限らず、コーマーシャルフォト(商業写真)では、デジタル処理や
デジタル合成は今や当たり前になっている。
話を水中写真に戻そう。
世の中ではデジタル処理やデジタル合成は当たり前なのだから水中写真でももっと
広がってもよいのではないだろうか?
しかし、実際はそんな簡単な話では無い。
水中写真にはネイチャーフォトという側面もある。もちろんすべての水中写真が
ネイチャーフォトであるわけではないが、水中の生き物を自然のまま撮影した
ネイチャーフォトとして発表される機会が多い。
つまり、ネイチャーフォトとして発表される写真ならば、デジタル処理やデジタル合成
は極力控えた方がいい。
しかし、控えなければならないのは、デジタルだからという単純な理由ではない。
アナログ的な多重露光撮影も、誤認を与える可能性があるならば控えるべきだ。
ネイチャーフォトは、自然を自然のままに捉えた写真であることが期待されているものだ。
だから人為的な捏造はあってはならない。と、世間一般の人は思ってはずだ。
ところで、ネイチャーフォトにおける、ちょっとしたレタッチ、カラー補正、明るさ補正と
いったレベルのデジタル処理は、
許せるのだろうか? ”補正”という表現をすれば許せる気もするが、見方次第では
”誇張”ともいえる。赤っぽい夕陽を真っ赤赤な夕陽にすること位、デジタルなら簡単だ。
失敗したアンダー気味の写真を明るさ補正して修復もできる。
こういう風に書くと、「いっさいのデジタル処理はダメだ」という意見も多いだろう。
では、もう少し視点を変えて考えてみよう。
銀塩フィルム撮影でも、カラーフィルターを使って夕陽の赤を誇張したりすることは
ネイチャーフォトでも普通に行われている。
超望遠レンズで”どアップ”撮影された満月と普通の夜景を二重露光で撮影された
写真もネイチャーフォトの分野でも時々見かけることがある。
モノクロ写真では、プリント段階で、つまり撮影後の後処理過程で、
いろいろ焼き方を工夫しながら作品を作るものだ。
そう思うと、この程度のことなら、デジタル処理で行っても許されるという理屈に
なるのではないだろうか?
考えて見れば、最近のカメラのAF(オートフォーカス)やAE(オート露出)は
デジタル技術が集積された機能だ。カメラの内部にはパソコンとまったく同じ
CPU、ROM、RAM等が集積されプログラムの演算結果によりオート機能が働く。
パソコンでのデジタル処理を否定するなら、カメラのオート撮影も
否定しなければ筋は通らない。
いろいろ話を複雑にしてしまったが、写真の本質は、技術の進歩とは無関係に
普遍である。つまり、最終的には撮影者のモラル、発表者のモラル
の話だ。
やらせや合成をいっさい行わなくてもの撮影者の意図次第で、
誤認を与えさせることくらい簡単だ。
本当は自然破壊が進んでいる島でも、わずかに残っている自然を見つけ出し
それを綺麗な写真に収めることで、「まだ、こんなに美しい自然が残っている」
という印象を与えたり、逆に自然が豊かな島でも、わずかなゴミを見つけ出し
撮影し「こんなに自然が破壊されている」という印象を与えたりもできる。
こういうことは撮影者の主観の主張や作品の表現の為に普通に行われていること
だ。どこまでが主観の主張で、どこから客観の捻じ曲げなのかの判断が撮影者のモラル
に委ねられている。
(2001年2月20日)
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